宿が現金オンリーで、昨晩にATM行くのをすっかり忘れてた。
ナポリ行きの列車には間に合ったものの、止めどなく汗は流るゝドナウ川。
イタリアを南下する事、3時間。久々のナポリだ。
まずは徒にも画にもピッツァから。ミケーレのマルゲリータで腹を満たせば、そこから200m先にあるバールのエスプレッソで締める。これぞナポリだ。
その後には、ナポリの生地屋カチョッポリに立ち寄り、テクテク歩いてパンツ職人さんの元へ。この前に、ナポリを歩いた初夏は蒸し暑く、体力の消耗が激しかったけど、今回は爽やかな風にそよがれて、ナポリの喧騒さえも清々しい。
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と思いきや、突如として雰囲気が変わるのがナポリ。以前は、キアイア通りにほど近いところにあったアトリエが移転したその先は、世界でも悪名高いスペイン地区(実際歩くとまるで平和なんだけど、街のその見た目がね)。
移転前に比べると、そのアトリエの内外の差は半端ないんだけど、いつもの職人たちの顔ぶれと、そのナポリクオリティ(良いとは言ってない)は変わっておらず、ホッとした。
その後、アトリエを出てトレドの方に戻る途中、若い日本人男子二人組とすれ違った。きっと修行でもしてるのかな。頑張ってね、と心の中でつぶやく。
いや、中野お前が頑張れ、とか、わかってるから言わないで。
次に向かうはロンバルディ。これがこの旅最後のアポイント。
今年の2月にロンバルディ爺が亡くなった。お悔やみの言葉を息子シモーネに伝える、まぁ、うまく言えなかったけど汗。
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シモーネの代になり、去年から伊勢丹や三越でのトランクショーが決まり、彼らとの協定で、白シャツが一枚10万円を超える価格となった。商売としてはうまく行っているそうので、全然オッケー。嬉しい限りだ。
ただ、アンスナムとしては、ない。一応、自分の中での物差しがある。それにそぐわないものは止める、もしくは別の道を考える。
ここに来たのはその後者の道を探すためだ。ロンバルディ爺なき今、これはそのタイミングだったのかもしれない。
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そして僕は日本から持参した型紙を広げた。近々、MANNASに新しいアイテムが誕生する、かもしれない。
帰りがけに、以前取り寄せてもらったトーマスメイソンの生地見本帖とそのボックスを手渡された。その重さ13kg。それをタクシーに乗るでもなく、担いで駅まで歩き、ローカル電車に乗る。ダク汗溢るゝユーフラテス。
この姿は完全に、アジア系スラム街出身の使いっ走りの少年。地元のクソガキ共がこちらを見ては、ほくそ笑む。
ファッキンジャップくらいわかるよバカ野郎。日本に帰ればシロガネーゼだこの野郎。
と言った。心の中で。
夕方6時。中央駅に預けてたスーツケースにそのボックスをブチ込む。
そして、列車が出る10分前に、バーガーキングでワッパーを詰め込む。
が、あまりにまずくて、半分残す。
ミラノまで5時間半の長旅は、ワッパーの胃もたれと共に。
この日の移動は日本で言うところの、京都から福岡、そして福岡から東京に行く、そんな感じ。
夜の車窓に映る自分の顔。その疲労感。
旅は終わった。